じつは、1月17日の晩に母が倒れて救急車で運ばれまして…
医師から『大動脈解離(解離性大動脈瘤)』と診断されICUに緊急入院。
幸いにも内膜から解離腔へ流れ出た血液が凝固し外膜と中膜を接着剤の様に塞いでくれたおかげで、破裂の危険からは免れました。
それでも再解離の恐れがあり「次はどうなるかわからないよ」と言われ、家族中不安を隠せない状態でしたが、1月27日に一般病棟に移りました。
退院できるまではまだ心配もありますが、一応落ち着いたので復帰です。

『大動脈解離』ってなに?という方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.ne.jp/asahi/sw/luke/AoDissection.htm

以下は怒濤の2週間。

入院直後は絶対安静と点滴による血圧のコントロールで、しばらくは安定してましたが、ICUに入って5日目に血中の酸素量不足で酸素マスクから人工呼吸器をつける事に。
6日目、血中酸素量も安定し、頭が冴えたのかベットから起き上がろうとするので、今度は腰の辺りをベルトで固定、点滴の針も抜かれない様にリストバンドみたいなので両腕を固定。人工呼吸器をつけているので、しゃべれないので、字や絵を書くんだけど、ミミズの様な字で全然読めなくて、母はイライラ。
水が飲みたいと書いていたんだけど「水を飲むのは危険だから駄目なの」と、看護士さんが言っても聞かず暴れる始末。
この時血圧が120から一気に170近くまで上昇し、何度も警告音が鳴って ハラハラさせられました。
さすがに看護士さんも心配して先生を呼ぶと、「起きてると興奮しちゃうから眠りましょう」と睡眠薬入り点滴で寝かせ、しばらく面会も控える事に。
(と言っても、ICUは1日2回各15分、2人しか面会できないんだけど)

ICUに入って9日目、やっと人工呼吸器が外れ、酸素マスクに戻りました。
担当医から病状を告げられ、大変な病気になった事に母も理解した様子。
CTとMRIの検査をした結果、異常なしと診断され、水も飲める様になって家族も一安心しました。
でも面会に行った時、氷水を一気に飲んでいたのでちょっと心配しました。
勿体無い勿体無いと言いながら氷まですすってる姿はちと可笑しかったけど、久々の水はさぞ旨かったろう。
食事も流動食みたいなのだけど、食べられる様になりました。
そして入院11日目、やっとICUから一般病棟に移る事が出来ました。

その後一般病棟に移って2、3回食事が出たらしいんですが、腎臓と肝臓の機能が悪いと言われ、点滴に戻る。
水とお茶だけは採っても大丈夫だけど、同じ病室の患者達は3度3度食事が出てるので、昼に会いに行った姉に母が「これで死んだら恨んで出てやる!食い物の恨みは恐ろしいんだから!!」とぐちっていたらしい(苦笑)
その日、血液検査をしたらしいけど、担当医は緊急の手術が入ってしまって結果がわからず、見舞いに行った晩も食事抜きに…。
籠に入ったブーケを持ってったら「こんなちっぽくさいの!」と八つ当り。
17日間ろくに口から物を食べていないから仕方ないが…(苦笑)
アベンチュリンのブレスも持って行ったら喜んでくれて良かったけど。

母が入院してから週末の実家は兄妹、姪、甥っこ勢揃いで普段広い食堂が人で溢れてものすごく狭かった。椅子足りないし。
母が退院する前に、祖父母が使ってた部屋と納戸を兄妹総出でお片付け。
とにかくゴミ屋敷き状態で凄かった。皆で「スモールライト欲しいね」と呟いたり、懐かしい代物を見つけては和んだり、ある意味思い出の宝庫だった。
なんとか2週間かけて8畳間一杯のゴミ共を撤去する事ができ、あとはタンスと畳を棄てて、内装をリフォームすれば準備万端。

なんていうか、こんな事でもなきゃ絶対兄妹集結しないけど、こんな時だからこそ兄妹がとても心強く思えました。
一時はどうなる事かと不安で眠れない日もありました。
ネットで色々調べてると、助かる確率が低く、たとえ助かっても何かしら障害が残るようなので、まだ完全に安心はできませんけど、入院した病院も循環器病で有名な病院だそうで、特にカテーテルの腕は凄いらしいです。
実家近くに良い病院があったり、解離を塞いでくれたり、幸運が重なって本当に運が良かった。

ちなみにここの病院です。
http://www.pref.saitama.lg.jp/A80/BA01/scrc/

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