先週の土曜日に無事、母が退院したので日曜日に兄妹と姉達の旦那と子供達が集まって実家で快気祝いをしました。
私は一番最後に到着したんですけど、畳2帖程の玄関が靴だらけで壮観でした。
入院中に持ってた時の花は「こんなちっぽくさいの」と文句つけられたので、今回は大きな花束持って行きましたさ。
腕疲れたけど、私以外誰も花持って来なかったので大層喜んでもらえたので嬉しかった。
またしても独り日本酒で豪快に飲んでました。
最近は飲むとすぐ眠くなるようで、あっという間にふとんで寝てた。
次の日、胃と腸のお薬のお世話になりつつ仕事はちゃんと行きましたよ。
強風で電車が徐行運転してたから遅刻しちまったけど(><)
日記では詳しく書かなかったけど、最初倒れた時に裂けた血管は胸部下行大動脈で、今は完全に回復しています。
手術したのは心臓に一番近い胸部上行大動脈で、しかも前と後の2カ所。
脳に続く血管よりも手前なのでもしこっちが破裂していたら…って事を考えると本当にゾッとします。
あと手術前の検査で脳にも動脈瘤があることが見つかって、こっちは今すぐ手術という事態ではないけれど、もし手術中に破裂すれば手術は中止、手のほどこしようがなくなると宣告され、手術日の1日が本当に長くて長くて、不安を抱えつつ看護士さんから渡されたポケベルが鳴らない事だけを祈ってました。
今度は脳の動脈瘤がいつどうなるかわからないですけど、このまま食事制限と血圧の管理と抑圧剤だけで済めば良いのですけどね。
私は一番最後に到着したんですけど、畳2帖程の玄関が靴だらけで壮観でした。
入院中に持ってた時の花は「こんなちっぽくさいの」と文句つけられたので、今回は大きな花束持って行きましたさ。
腕疲れたけど、私以外誰も花持って来なかったので大層喜んでもらえたので嬉しかった。
またしても独り日本酒で豪快に飲んでました。
最近は飲むとすぐ眠くなるようで、あっという間にふとんで寝てた。
次の日、胃と腸のお薬のお世話になりつつ仕事はちゃんと行きましたよ。
強風で電車が徐行運転してたから遅刻しちまったけど(><)
日記では詳しく書かなかったけど、最初倒れた時に裂けた血管は胸部下行大動脈で、今は完全に回復しています。
手術したのは心臓に一番近い胸部上行大動脈で、しかも前と後の2カ所。
脳に続く血管よりも手前なのでもしこっちが破裂していたら…って事を考えると本当にゾッとします。
あと手術前の検査で脳にも動脈瘤があることが見つかって、こっちは今すぐ手術という事態ではないけれど、もし手術中に破裂すれば手術は中止、手のほどこしようがなくなると宣告され、手術日の1日が本当に長くて長くて、不安を抱えつつ看護士さんから渡されたポケベルが鳴らない事だけを祈ってました。
今度は脳の動脈瘤がいつどうなるかわからないですけど、このまま食事制限と血圧の管理と抑圧剤だけで済めば良いのですけどね。
昨日、母の手術無事終わりました。
10時間にも及ぶ大手術でしたけど、予定通りだそうで。
今日の午後面会に行ったら眠っているかと思いきや、目ぇ覚めてました。
麻酔から覚めると、手術痕が激しく痛むらしいので、脳の障害があるかどうかの確認をすると、また麻酔で眠らせちゃうらしいんですがね…。
わかる〜?と声をかけたら、うなずいてくれたので安心しました。
手は点滴の針だらけなので、あまり動かせなかったけど、手握れる?と聞くと、しっかり握ってくれました。
帰る時、またね〜と手をふったら、足でバイバイもしてくれました。
これから拒絶反応や、感染症の症状が出ないとも限らないので、ICU出るまでは心配ですけど、母の笑顔が見れたのでとりあえず帰って来ました。
まだ問題はありますが、とりあえずこのまま何もない事を祈るばかりです。
10時間にも及ぶ大手術でしたけど、予定通りだそうで。
今日の午後面会に行ったら眠っているかと思いきや、目ぇ覚めてました。
麻酔から覚めると、手術痕が激しく痛むらしいので、脳の障害があるかどうかの確認をすると、また麻酔で眠らせちゃうらしいんですがね…。
わかる〜?と声をかけたら、うなずいてくれたので安心しました。
手は点滴の針だらけなので、あまり動かせなかったけど、手握れる?と聞くと、しっかり握ってくれました。
帰る時、またね〜と手をふったら、足でバイバイもしてくれました。
これから拒絶反応や、感染症の症状が出ないとも限らないので、ICU出るまでは心配ですけど、母の笑顔が見れたのでとりあえず帰って来ました。
まだ問題はありますが、とりあえずこのまま何もない事を祈るばかりです。
これから実家行って来ます〜。
2006年3月7日 闘病日誌明日、朝から母の手術です。
術後丸一日は麻酔で眠っているらしいので何するわけでもないけど…。
また甥っ子の相手かな(^^)
んでは、行って来ます。
術後丸一日は麻酔で眠っているらしいので何するわけでもないけど…。
また甥っ子の相手かな(^^)
んでは、行って来ます。
長らく留守にしてすみませんでした。
2006年2月5日 闘病日誌じつは、1月17日の晩に母が倒れて救急車で運ばれまして…
医師から『大動脈解離(解離性大動脈瘤)』と診断されICUに緊急入院。
幸いにも内膜から解離腔へ流れ出た血液が凝固し外膜と中膜を接着剤の様に塞いでくれたおかげで、破裂の危険からは免れました。
それでも再解離の恐れがあり「次はどうなるかわからないよ」と言われ、家族中不安を隠せない状態でしたが、1月27日に一般病棟に移りました。
退院できるまではまだ心配もありますが、一応落ち着いたので復帰です。
『大動脈解離』ってなに?という方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.ne.jp/asahi/sw/luke/AoDissection.htm
以下は怒濤の2週間。
入院直後は絶対安静と点滴による血圧のコントロールで、しばらくは安定してましたが、ICUに入って5日目に血中の酸素量不足で酸素マスクから人工呼吸器をつける事に。
6日目、血中酸素量も安定し、頭が冴えたのかベットから起き上がろうとするので、今度は腰の辺りをベルトで固定、点滴の針も抜かれない様にリストバンドみたいなので両腕を固定。人工呼吸器をつけているので、しゃべれないので、字や絵を書くんだけど、ミミズの様な字で全然読めなくて、母はイライラ。
水が飲みたいと書いていたんだけど「水を飲むのは危険だから駄目なの」と、看護士さんが言っても聞かず暴れる始末。
この時血圧が120から一気に170近くまで上昇し、何度も警告音が鳴って ハラハラさせられました。
さすがに看護士さんも心配して先生を呼ぶと、「起きてると興奮しちゃうから眠りましょう」と睡眠薬入り点滴で寝かせ、しばらく面会も控える事に。
(と言っても、ICUは1日2回各15分、2人しか面会できないんだけど)
ICUに入って9日目、やっと人工呼吸器が外れ、酸素マスクに戻りました。
担当医から病状を告げられ、大変な病気になった事に母も理解した様子。
CTとMRIの検査をした結果、異常なしと診断され、水も飲める様になって家族も一安心しました。
でも面会に行った時、氷水を一気に飲んでいたのでちょっと心配しました。
勿体無い勿体無いと言いながら氷まですすってる姿はちと可笑しかったけど、久々の水はさぞ旨かったろう。
食事も流動食みたいなのだけど、食べられる様になりました。
そして入院11日目、やっとICUから一般病棟に移る事が出来ました。
その後一般病棟に移って2、3回食事が出たらしいんですが、腎臓と肝臓の機能が悪いと言われ、点滴に戻る。
水とお茶だけは採っても大丈夫だけど、同じ病室の患者達は3度3度食事が出てるので、昼に会いに行った姉に母が「これで死んだら恨んで出てやる!食い物の恨みは恐ろしいんだから!!」とぐちっていたらしい(苦笑)
その日、血液検査をしたらしいけど、担当医は緊急の手術が入ってしまって結果がわからず、見舞いに行った晩も食事抜きに…。
籠に入ったブーケを持ってったら「こんなちっぽくさいの!」と八つ当り。
17日間ろくに口から物を食べていないから仕方ないが…(苦笑)
アベンチュリンのブレスも持って行ったら喜んでくれて良かったけど。
母が入院してから週末の実家は兄妹、姪、甥っこ勢揃いで普段広い食堂が人で溢れてものすごく狭かった。椅子足りないし。
母が退院する前に、祖父母が使ってた部屋と納戸を兄妹総出でお片付け。
とにかくゴミ屋敷き状態で凄かった。皆で「スモールライト欲しいね」と呟いたり、懐かしい代物を見つけては和んだり、ある意味思い出の宝庫だった。
なんとか2週間かけて8畳間一杯のゴミ共を撤去する事ができ、あとはタンスと畳を棄てて、内装をリフォームすれば準備万端。
なんていうか、こんな事でもなきゃ絶対兄妹集結しないけど、こんな時だからこそ兄妹がとても心強く思えました。
一時はどうなる事かと不安で眠れない日もありました。
ネットで色々調べてると、助かる確率が低く、たとえ助かっても何かしら障害が残るようなので、まだ完全に安心はできませんけど、入院した病院も循環器病で有名な病院だそうで、特にカテーテルの腕は凄いらしいです。
実家近くに良い病院があったり、解離を塞いでくれたり、幸運が重なって本当に運が良かった。
ちなみにここの病院です。
http://www.pref.saitama.lg.jp/A80/BA01/scrc/
医師から『大動脈解離(解離性大動脈瘤)』と診断されICUに緊急入院。
幸いにも内膜から解離腔へ流れ出た血液が凝固し外膜と中膜を接着剤の様に塞いでくれたおかげで、破裂の危険からは免れました。
それでも再解離の恐れがあり「次はどうなるかわからないよ」と言われ、家族中不安を隠せない状態でしたが、1月27日に一般病棟に移りました。
退院できるまではまだ心配もありますが、一応落ち着いたので復帰です。
『大動脈解離』ってなに?という方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.ne.jp/asahi/sw/luke/AoDissection.htm
以下は怒濤の2週間。
入院直後は絶対安静と点滴による血圧のコントロールで、しばらくは安定してましたが、ICUに入って5日目に血中の酸素量不足で酸素マスクから人工呼吸器をつける事に。
6日目、血中酸素量も安定し、頭が冴えたのかベットから起き上がろうとするので、今度は腰の辺りをベルトで固定、点滴の針も抜かれない様にリストバンドみたいなので両腕を固定。人工呼吸器をつけているので、しゃべれないので、字や絵を書くんだけど、ミミズの様な字で全然読めなくて、母はイライラ。
水が飲みたいと書いていたんだけど「水を飲むのは危険だから駄目なの」と、看護士さんが言っても聞かず暴れる始末。
この時血圧が120から一気に170近くまで上昇し、何度も警告音が鳴って ハラハラさせられました。
さすがに看護士さんも心配して先生を呼ぶと、「起きてると興奮しちゃうから眠りましょう」と睡眠薬入り点滴で寝かせ、しばらく面会も控える事に。
(と言っても、ICUは1日2回各15分、2人しか面会できないんだけど)
ICUに入って9日目、やっと人工呼吸器が外れ、酸素マスクに戻りました。
担当医から病状を告げられ、大変な病気になった事に母も理解した様子。
CTとMRIの検査をした結果、異常なしと診断され、水も飲める様になって家族も一安心しました。
でも面会に行った時、氷水を一気に飲んでいたのでちょっと心配しました。
勿体無い勿体無いと言いながら氷まですすってる姿はちと可笑しかったけど、久々の水はさぞ旨かったろう。
食事も流動食みたいなのだけど、食べられる様になりました。
そして入院11日目、やっとICUから一般病棟に移る事が出来ました。
その後一般病棟に移って2、3回食事が出たらしいんですが、腎臓と肝臓の機能が悪いと言われ、点滴に戻る。
水とお茶だけは採っても大丈夫だけど、同じ病室の患者達は3度3度食事が出てるので、昼に会いに行った姉に母が「これで死んだら恨んで出てやる!食い物の恨みは恐ろしいんだから!!」とぐちっていたらしい(苦笑)
その日、血液検査をしたらしいけど、担当医は緊急の手術が入ってしまって結果がわからず、見舞いに行った晩も食事抜きに…。
籠に入ったブーケを持ってったら「こんなちっぽくさいの!」と八つ当り。
17日間ろくに口から物を食べていないから仕方ないが…(苦笑)
アベンチュリンのブレスも持って行ったら喜んでくれて良かったけど。
母が入院してから週末の実家は兄妹、姪、甥っこ勢揃いで普段広い食堂が人で溢れてものすごく狭かった。椅子足りないし。
母が退院する前に、祖父母が使ってた部屋と納戸を兄妹総出でお片付け。
とにかくゴミ屋敷き状態で凄かった。皆で「スモールライト欲しいね」と呟いたり、懐かしい代物を見つけては和んだり、ある意味思い出の宝庫だった。
なんとか2週間かけて8畳間一杯のゴミ共を撤去する事ができ、あとはタンスと畳を棄てて、内装をリフォームすれば準備万端。
なんていうか、こんな事でもなきゃ絶対兄妹集結しないけど、こんな時だからこそ兄妹がとても心強く思えました。
一時はどうなる事かと不安で眠れない日もありました。
ネットで色々調べてると、助かる確率が低く、たとえ助かっても何かしら障害が残るようなので、まだ完全に安心はできませんけど、入院した病院も循環器病で有名な病院だそうで、特にカテーテルの腕は凄いらしいです。
実家近くに良い病院があったり、解離を塞いでくれたり、幸運が重なって本当に運が良かった。
ちなみにここの病院です。
http://www.pref.saitama.lg.jp/A80/BA01/scrc/